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会計士女子の来し方行く末

東京で働く会計士♀です。野心となげやりのあいだ。

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「いい人」

最近、「いい人」という言葉を使わなくなったな〜って思います。そもそも言葉の定義から始めると収拾がつかなくなるのでアレですが、ここでは「あの人、凄くいい人なんだよね〜」みたいな言い方をする時の「いい人」くらいの意味で使っていると捉えておいて下さい。今日はこの「いい人」について、中身無くつらつらします(´-`)

 

私の場合、大学生くらいまではよく使っていた気がします。「あの先輩はわざわざ時間をとって部活のあとに相談を聞いてくれた」とか、「彼女は友達に講義のレジュメを貸してあげていた」とか、「いいバイトを紹介してくれた」とか。。大学生くらいまでってまだ時間的にも、他のことにも余裕があるから。社会人に比べて、(相対的に)自分のことさえなんとかしておけばいい状況の人が多数でしょう。だから「いい人」って思わせてくれる人がたくさんいたのだと思う。
 
でも社会に出ると、それぞれが時間等に余裕や自由も無くなってくるし、社会的・経済的に立場や責任があって、制限が出てくることも多い。家庭を持ったりね。
だから、安易に・容易に「いい人」と言わせてくれる人も少なくなるし、自分自身が言わせることもできなくなってくる。「いい人」が、「(自分や組織にとって)都合のいい人」であることもままあるかもしれません。

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そのせいか、ここ数年、「いい人」「優しい人」「ハートウォーミングな気持ちの良い人」の存在の大切さを噛み締めます。昔は、仕事においては結果が全てだ、いい人かどうかなんて関係ない!と突っ張ったことを考えていた時期もありましたが、いまは…仕事ができるできないなんかより、周囲をほっこりさせる「いい人」であることの方がずっと価値のあることなんじゃないかなぁ(´-`)ってちょっと思うようになりました。逆に、どんなに仕事がバリバリできても、人のことを悪く言ったりネチネチ文句付けたりする人は嫌だなぁ…と感じます。
結構、(自分のことは差し置いて、)他人のことを人前でけちょんけちょんに言う人いますよね、「あいつ全然仕事できねぇ」とかって。あー言うの、ホントびっくりするわ…
 
まー監査法人も普通の会社と同じで、いわゆる出世コースっぽい人と、「完全に外れたな、パートナーへの道も閉ざされたし、いつまでココに残るんだろうね?」みたいに目されてしまう人がいるわけです(周りを見ていると、感覚的には40歳前位には勝負ついてる感はありますね…)。
でも、後者のタイプの人の中にも、話していて、この人はとってもいい人だなぁ、お家ではいいお父さんなんだろうなぁ…(´-`)  (下っ端から見ても明らかに仕事はお粗末だけど…) て人もいるわけですよ。当たり前だけど。なんとなくそういう人を前にすると、「いい人」でいることって、悪くないなって思うのです。むしろ仕事の不出来が重要視される職場でだからこそ、そう感じるのかもしれない。
おそらくだけれど、そういう人からは仕事の出来不出来に関するプレッシャーを感じないから、自分自身がホッとするんでしょうね…。
仕事ができる人といると感じる緊張感がないっていうか、一時的に張り詰めていた糸を緩めることができる。
我ながらダメな傾向というか、ホッとしている場合じゃないだろう、しっかり仕事できるようになるために働け!と叱咤すべきところではありますが。。(・・;)
 
そんなこんなで、近頃は組織に色々なタイプの人が居ていい、むしろ居た方がいいのだろうなぁ…となんとなく思っています。というか、歳をとって、色んなことが許容できるようになってきたような気もする。
勿論クライアントがいる以上、しっかりしたサービスを提供するのが当然だし、普通に考えれば精鋭で組織化するのが良いのでしょうが。
なんでしたっけ、アリさんの話で、2割は働き者、6割は普通、残りの2割は怠け者だか仕事のできないアリさんになっちゃうみたいな話。そしてアリさんをメンバー交替して、よく働くのだけで揃えても、必ず下2割は働かなくなっちゃうって聞いたことがあります。
それと同じで、人間の組織も、どうせ精鋭で揃えても同じことが起こるんじゃないかなぁ。。
 
 
なんだか途轍もなく抽象的な話で恐縮なんですが、仕事の出来不出来に関わらず「いい人」の存在は貴重で、色んな人が組織にいるのがいいねって、思っています、てはなしでありました。
(まー出来不出来に関わらずって言ったって、「ある程度の能力は前提として」という注書きが付いちゃうのが何とも無駄な議論っぽいですが…)
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