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会計士女子の来し方行く末

東京で働く会計士♀です。野心となげやりのあいだ。

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「子どもの頃の夢」、シールを処分しました

たくさんあったシールの大部分とさよならしました。
 
私は子どもの頃、文房具が大好きな子どもでした。よい香りのついた消しゴムや、ちょっとかわった形のペンケース、美しい装丁のノートなど、工業製品特有のなめらかさや線の流麗さに惹かれました。どうしてこんなに完璧な直線や曲線で作られているのだろう。どうやってこの繊細な模様・デザイン・色合いが出せるのだろう。不思議でした。

 

そして、子どもにとって最も身近な、所持している文房具は、裕福さの象徴でした。
子どもの、というより、その子の家庭の、といった方が正しいかな。
私が小学生だったのはもう20年も前だから、まだ携帯やスマホなんて小学生には普及していない1990年代のことでした。
 
まだ覚えてるんだけど、小学生に上がったばかりの頃。
クラスで「まとまるくん」という消しゴムが流行っていたのですが(知ってる方いますかね?空色のスリーブに消しカスがまとまり易い材質の消しゴムが入っているやつ)、母親に「みんな『まとまるくん』てのを持ってるんだよ」と特に意味なく言ったところ、光の速さで「買わないからね!!!」と返されたのでした…。゚(つД`)゚。 買ってともなんとも言ってないのに…。゚(つД`)゚。
まあ当時はウチは貧しいって程ではないにしても、全く生活に余裕が無かったのです。給料日前に百円玉を数えてスーパーに行くような。だから子どもがチラつかせてきた、たかだか100円位のアイテムも速攻で却下する必要があったのでしょう。
 
クラスにはお金持ちというか地元の地主さんみたいなウチの子もいて、その子の家に行くと美味しいお菓子が出たり、テレビゲームで遊べたり、可愛い文房具がもらえたりしたから、その子と遊んでたって部分もあったと思う。。子どもの世界は大人以上にえげつないのかもしれません。
 
だから私にとって文房具は、人類の叡智を結集した工業規格品の完璧なまでの美しさや、経済的豊かさの象徴でした。文房具を買ってもらったり、自分のお小遣いで買ったりしたときには、本当に素晴らしい気持ちになりました。
 
中でも私の心を強く惹きつけたのは、シールです。特に、短冊状の白いシートに、動物や楽器、食べ物なんかの一つのテーマで数種類のアメリカンなデザインのシートが並んでいるもの。それが透明のビニールに入って、たまにお出かけするデパートの雑貨売り場のラック一面に並んで売っていて。私はそれが欲しくて欲しくて仕方無かったのです。つるつるとなめらかで、どれも手描きでは描けない線で型どられたシール。オーロラに光るものもありました。なんてきれいなんだろう!
でも子どもの頃は厳しい家で、グズれば父の平手が飛んできたから、ウダウダ欲しいとゴネるのなんか問題外でした。昔から素直にこれ買って!ってねだることができなかったのですよね…(´・ω・)
子どもの頃はその美しいシールを遠目に眺めるだけ。
 
大学生位から自由に使えるお金が増えてきて、私は欲しい!と思ったシールを気兼ねなく買うようになりました。また、子どもの頃に手に入れたモノは、ショボいものが多かったのだけど、普段なかなか手に入らないものだけに、捨てられずに今もまだあります。
 
そんな私にとって「夢」そのものだったシールですが、今使っているかというと。。。
子どもの頃と大人になってからとでは趣味も変わるし、実用には耐えないものばかりです笑
一時、プクプクシールとか流行ったのご存知の方います?そういうのとか、クッションのような厚みのあるシールとかは、ノートの中の方に貼ると前後のページが書きづらいし、そうそうシール貼る場所なんて無いのですよね…
それでも、シール自体は本当に大好きだし、なんだか昔の「夢」や、子どもの頃に感じた文房具にまつわるたくさんの思い出を捨ててしまうような気がして処分できなかったのです。
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そんな気持ちがあったものの、心の中でずっと引っかかっていた今後も使わないであろうシールたち、それら大部分を今日、手放すことにしました。
 
もう今の私にとってシールは、依然として美しさの象徴ではあっても、経済的豊かさのシンボルではないし、どうしてもまたその美しさを拝みたくなったら、自分の足でお店まで出向いて、自分の目で眺めて来ればいい。それに大人になってからは、美しいものは他にも世の中にたくさんあるってことも知ったしね。子どもの頃の感傷に囚われる必要はないんだって思うようになりました。モノってついつい増えてしまうから、あまり執着しないように、身軽にいたいなぁ。。
 
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